こんなコロナ騒ぎ過ぎ派の話を聞きました。
まあ、私もこの先コロナでどうなるかわかりませんけどね・・・。
騒ぎ過ぎ派も、騒ぎ過ぎ批判派も犠牲者を減らしたいだけなんだと思うのです。
争う必要なんてないと思う今日この頃。
この下の記事は、もちろん全ての人がそんな思考だなんて思って書いていません。そんな人もいる程度で読んでいただければと思います。
コロナは騒ぎすぎ派の人は内心、今でも騒ぎ過ぎと思っているでしょう。むしろ、騒ぎ過ぎが加速していて不思議でしょうがないのでは?
騒ぎ過ぎ派は毎日、東京で何人感染者が発表されようが、そんなのわかっていた事なのでは?だって、症状無い人もいるんでしょ?これだけ人口がいて人の行き来が盛んな首都東京で感染者がそんな数のわけないでしょ?何をいまさら?と思うわけです。
全員検査すれば、半分が感染してるのでは?ぐらいに思っているのです。
実際はそれだけの人がすでに感染していて、悲しいことになってしまうのは人数的には極一部、パーセント的にはとても低い。それもほぼ高齢者だから悲しいけど諦めがあるのです。
また、他の病気、例えば今までに肺炎でも毎年、ものすごい人数の方が亡くなっている、2009年の新型インフルエンザの時は?今も収束してないんでしょ?怖いのはコロナだけではないのにと・・・。
コロナ騒ぎ過ぎ派の人もコロナが怖くないなんて言っているわけでは無いのでは?怖いとわかった上でものすごく感染しないように気を付けている人も多数いるのです。
命の問題なので、パーセンテージで割り切れるものでは無いのもわかっています。
この先、医療崩壊を防ぐ為に感染者数を増やさない理屈も理解しています。
その上でできる事をやって、パニックになるなと。
パニックから景気が悪くなって自殺者が増えることを危惧している。もしかしたらそれが自分かもしれない。それでどちらかと言えば経済優先よりの意見になる。
一方、騒ぎ過ぎでは無い派の人は必至でコロナによる犠牲者を減らそうとしてくれている。無到着な人に警告を発信してくれている、目の前の犠牲者を何とか減らそうとしてくれている。
毎日増え続ける感染者を見て、「それ見たことか!騒ぎ過ぎなんて言っているからこうなるんだ!政府が緊急事態宣言を出して、首都封鎖でもやるべきだ!」となる。
これを騒ぎ過ぎ派が聞くと「ちょっと待って!明日の食費が!家賃が!簡単に表面的な理想で決めるな!」と逆に騒ぎ過ぎになってしまったり。
ですが、騒ぎ過ぎでは無い派、緊急事態宣言・首都封鎖推進派もそれは生活の保障を政府がした上でやれと言っている人が大半のはず。
何がなんでも極端に止めろ!と、どっかの現実知らずの環境派お姉さんのようなことを強要しているわけでは無いでしょ?無いはずです。
誤解から、騒ぎ過ぎかどうかで争う必要なんてないのにね・・。どちらも犠牲者少なく、この悲劇を早く収束させたい点で目標は一緒のはず。
政府がとっと自粛する為の金を出せば、返せば争わなくてすんだのに・・(´・ω・`)
長期化すれば自粛保障の財源は無限ではないので厄介です、不安です。でもね、結局、人類はどこかで落としどころを見つけて活動しはじめるでしょ。それまでの保障だよね。落としどころを作る、見つける、決定する為にも現金給付をとっととするするべき。